share

「女性活躍」と言われても……。女性を縛る“呪縛”

女性は「結婚して家庭に」「3年で退職」する時代に、“働き続ける”生き方を選んだ

平田 恵(タメニー株式会社(旧株式会社パートナーエージェント)広報担当。以下、平田)

平田

永井さんは1981年に富士ゼロックスへ入社されて、人事のプロフェッショナルとして、GEキャピタルリーシング、エルメスジャポン、アボットなど、著名なグローバル企業で活躍されてきました。

当時は「女性は結婚して家庭に入る」というのが、女性にとっての“常識”だったと思います。永井さんご自身は社会人になったころ、ワークライフバランスについて、どのように考えていらっしゃったのでしょうか。

永井 裕美子(株式会社LiB取締役副社長兼CPO。以下、永井

永井

当時は「女性は入社しても3年で退職するものだ」と言われていました。私自身も、富士ゼロックスで約20年間働くことになるとは、夢にも思っていませんでしたね。

ただ、「女性が社会人として働けるのは、3年という短い期間しかない。だからこそ、やりがいのある仕事をしたい」と考えて、自分の働いた成果がはっきりと分かる営業職を希望しました。

イメージ1

平田

結婚については、どのように考えていらっしゃいましたか?

永井

入社した当初から、「結婚や出産はしたい」と思っていましたので20代半ばでは、数回お見合いもしたりしました。

ですが営業の仕事がとても楽しかったので、25歳を過ぎても「働き続けたい」と考えるようになっていました。富士ゼロックスは性別に関係なく、営業成績が良ければ評価される社風でしたから、とてもやりがいを感じられたんです。

平田

営業職として、順調なキャリアを歩まれていたんですね。

永井

そうですね。でも「女性は3年で退社する」のが当たり前の時代でしたから、「働き続けたい」と考えるようになったことで、「結婚・出産した後も、会社に『戻ってきてほしい』と言われるような専門性を持たなければ」という目標を持つようになりました。

そんなタイミングで、社内に海外留学制度があると知ったんですね。周囲からは「会社がお金を出してまで、女性社員を海外に留学させるはずがない」と言われました。ですが、ちょうど男女雇用機会均等法が施行されようとしていた時期でしたから「もしかしたら、会社も『そろそろ女性を海外に送ってみるか』と思うかもしれない」と望みを持って応募してみました。ダメでもともとだったんですが、会社に選んでいただいて、アメリカのコーネル大学院に留学できることになったんです。

森本 千賀子(株式会社morich 代表取締役社長。以下、森本)

森本

留学して、人事などについて学ばれたわけですよね。帰国されてからは、どのようなキャリアを歩んでこられたのでしょうか?

イメージ2

永井

日本に帰ってきてからは、富士ゼロックスで人事の業務に取り組むことになりました。

当時、富士ゼロックスには1万5,000人ほどの社員がいましたが、女性の管理職はわずか数人程度しかいなかったんです。今後のキャリアを考えて、道しるべになってくれる先輩と出会いたかったのですが、私に近いところには「管理職の先輩」と呼べるような女性社員は見つかりませんでした。

そこで「働き続けるキャリアを選んだ女性に出会いたい」と社外に目を向けて、仕事をもつ女性が社会奉仕活動を行っている非営利団体に参加するようになりました。

この団体での活動を始めて、女性起業家や上場企業で管理職を務める女性など、素晴らしいキャリアを築かれてきた女性と出会う機会が得られるようになりました。外の世界を知るにつれて「富士ゼロックスで働き続けると、富士ゼロックスの価値観だけに染まってしまう。このままで私はいいのだろうか」と考えるようになりました。また、人事としての仕事の幅も広げたいと思い2000年に20年ほど働き続けていた富士ゼロックスを離れ、GEへ転職することを決めました。

専業主“夫”の先駆けか。「女性が外で働き、男性が家庭を守る」夫婦に

森本

そうした多忙なキャリアを歩まれつつも、結婚も実現されています。ご主人とはどこで知り合われたのでしょうか?

永井

留学先のアメリカで出会いました。私は経済学が苦手だったので、当時博士課程にいた夫に教えてもらっていたんです。留学中にチャペルで結婚式を挙げました。

当初は、結婚したら私が家庭に入ることになるだろうと思っていました。けれど結局、その後、夫が専業主“夫”を担当してくれることになりました。

森本

「女性が外で働き、男性が家庭を守る」という夫婦の在り方は、今よりもさらに珍しかったと思います。どんな経緯で、ご主人が専業主“夫”になられたんでしょうか。

永井

帰国した後、しばらくは夫婦共働きで2人とも忙しくしていました。ですが20年ほど前、私がGEへ転職するころに、夫が「またアメリカへ行って勉強したい」と言ったんです。仕事を辞めて自宅で勉強するようになり、その分、彼が家事をしてくれるようになりました。その後、彼の祖母の介護を手伝うようになり、また義母や私の母が病気になった時には介護してくれました。

森本

ご主人が家事や看護・介護を担われることは、お2人で相談して決められたのでしょうか?

永井

特に話し合ったわけではなく、自然な流れでそうなっていました。

イメージ3

森本

ご主人はもともと家事が得意だったのですか?

永井

いえ、最初はまったく家事ができませんでした。料理するときも、レシピ本に書かれているとおりに材料をそろえないと作れなかったんです。でも20年経ち、今では何でもできますよ。

よく「家事は苦手だ」と避ける男性がいらっしゃいますが、夫の例から考えると、経験さえ積めば誰でもできるようになるものだと思います。

森本

家事はすべて、ご主人が担当されているのでしょうか?

永井

基本的にはすべて夫がしてくれます。夫は好奇心旺盛なので、何に対しても興味を持って取り組んでくれますね。その分、私は段々と料理が下手になってきました(笑)

でも彼は家具の移動や電化製品の配線が苦手なので、そういうことは私がしています。私ももともと得意だったわけではないのですが、やってみたらできるようになりました。

森本

初めから「男性だから家事はできない」「女性だから電化製品の扱いは苦手だ」と決めてかからず、「まずはやってみよう」と考える。そうすることで、自分たちに合った夫婦の役割分担が見つかるのかもしれませんね。

永井

そうですね。「女性が外で働き、男性が家庭を守る」という関係を始めたのが20年ほど前のことでしたから、当時は周囲からいろいろ言われることもありました。ですが他の人に迷惑を掛けたわけではありません。自分たちに合った夫婦の在り方を見つけることで、自分たちが精神的に安定して暮らせることが大切だと感じています。

森本

「女性が外、男性が家庭」という生活を送る中で心掛けていること、お2人の間で決めているルールはありますか?

永井

特にルールを決めるということはしてきませんでした。

ただ、夫の家事には口を出さないようにしています。彼は几帳面な性格なので、家事にも時間をかけるんです。「時間がかかっているな。もっと手早く済ませばいいのに」と思っても、それを口には出しません。

実は私、ルンバが欲しいと思っているのです。でも夫には、「掃除は自分でする」というポリシーがあるので、買わせてもらえないんですよ(笑)

平田

ご主人は決して嫌々ながら家事をしているわけではなく、積極的に家事に取り組んでらっしゃるのですね。その意味でも、ご主人は専業主“夫”の先駆けでしょう。

永井

そうですね。ただ当時も海外では、男性より女性のキャリアを優先することはそれほど珍しくありませんでした。

これまでに勤めてきた外資系企業では、奥様が転勤する時にご主人が仕事を辞めてついていくケースや、ご主人がキャリアを中断して一時的に主“夫”を担うケースもありました。

海外の夫婦は、日本より考え方がドライなんです。夫婦どちらのキャリアを重視するのが夫婦にとって最も利益があるのか、冷静に合理的に考える傾向があるんですね。

海外と比べて日本では専業主“夫”という生き方が受け入れられづらいなと感じていましたが、数年前に驚いたことがありました。銀行で書類を記入していく時、職種欄に「主夫」という選択肢があったんです。「ああ、日本も変わったんだな」と感慨深く思いましたね。

「出産したら仕事はあきらめる」「子育ては他人に頼らない」――女性活躍を妨げる“呪縛”